スコットランドの国花、あざみ(Thistle)の伝説.
8世紀、スコットランドはバイキングからの侵略を受けました。
スコットランド軍を攻撃しようと、闇に紛れて上陸した兵士たち。
けれど、足音を消す為に裸足になっていたため、棘のあるアザミを踏んだ兵士が、
あまりの痛さに大声をあげてしまいました。
スコットランド軍は敵に気づき、それをきっかけに大勝利しました。
この伝説にちなんで、アザミは国を救った花として、
スコットランドの国花となり国民に愛されています。
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The Thistle and Rose アザミとバラ |
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アザミはスコットランドの国花、バラはイングランドの国花で、二つの国を花に例えた寓話的な歌。スコットランドにとってイングランドと連合したことによる影響が厳しく現れた頃に書かれたと考えられる。
1.
It was in old times,
When trees compos'd rhymes,
And flowers did with
elegy flow;
It was in a field,
That various did yield,
A Rose and a
Thistle did grow.
On a sun-shiny day,
The Rose ehanc'd to say,
"Friend
Thistle, I'll be with you plain ;
And if you would be
but united to
me,
You would ne'er be a Thistle again."
2
.Says the Thistle, "My spears
Shield mortals from fears,
Whilst thou dost unguarded
remain;
And I do suppose,
Though I were a Rose,
I'd wish to turn
Thistle again."
"0 my friend," says the Rose,
"You falsely
suppose,
Bear witness, ye flowers of the plain!
You would take so much
pleasure
In beauty's vast treasure,
You would ne'er be a Thistle again."
3.
The Thistle at length,
Preferring the Rose
To all the gay
flowers of the plain,
Throws off all her points,
Herself she
anoints,
And now are united the twain.
But one cold stormy day,
While
helpless she lay,
Nor longer could sorrow refrain,
She fetch'd a deep
groan,
With many Ohon !
" O were I a Thistle again!
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Red House レッドハウス
traditional/arr.Nami |
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レッドハウスがどこにあるかは定かではないが、一つの説としてBerwick-upon-Tweedと言われる。
Berwickは、"Hammer of the Scots"(スコットランド人への鉄槌)というあだ名で知られる残忍なイングランド王、エドワード1世が、1296年、スコットランドを訪れた最初の町。レッドハウスはフラマン人の商人や職人たちの活動の拠点で、かれらは活気溢れるこの町に住んでいた。
エドワード1世はフラマン人たちにBerwickの町から退くように命じた。しかし、フラマン人たちは、彼らを歓迎するようになっていた町の住人たちと運命を共にする方を選んだため、エドワード王はレッドハウスを放火せよとの命令を下した。
レッドハウスの中では結婚式も行われていたが、突如エドワードの兵隊たちが侵入し、全ての人々が殺された。
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プリンス・チャーリー伝説~ジャコバイトの反乱~
1707年、スコットランドとイングランドは合併統一し、
「大ブリテン王国」が誕生しました。
けれど、スコットランドに経済的利益はなく、のしかかる重税、不平等な法律、
さらにドイツ人のジョージ一世が国王に就くなど、
イングランドの対する不満はいっきに高まりました。
スコットランドにはスチュアート家のれっきとした王位継承者がいる。
こうして、ジャコバイトの反乱が始まりました
「勝利か滅亡か。
王冠を取り戻すべくチャールズ・スチュアート帰国せり」
1745年、7月13日、チャールズ・エドワード・スチュアート王子は
フランス艦でスコットランド西部海岸に上陸、約1000人のハイランダーとともに兵を上げました。
バースを落とし、エディンバラを奪回、チャールズ軍は5000人に膨れ上がり、
さらに南下、カーライル、ペンリース、マンチェスターを次々に陥落させ、
ロンドンの北200キロの地点にまで到達。
敵の喉元に刃を突きつけました。
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King's Reel Set
traditional/arr.Nami |
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Charie Stuart~King George Ⅳ~Fye, Gar Rub Her O'er Wi' Strae
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今一気に進軍すれば悲願が叶えられる。
ハイランダーたちの胸は高まりました。
けれど、軍勢一万のイングランド軍に進路を阻まれ、形勢
は逆転、1746年4月16日、ハイランドのカロデンの決戦で
は、1500人ものハイランダーがイングランド軍の砲火と銃剣
の前に空しく倒れていきました。
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Culloden's Harvest カロデンの実り
traditional/Alastair McDonald/arr.訳詞Nami |
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スコットランドにはこの曲をはじめ、スコットランドの人々にとって最も忘れがたい、このカロデンの悲惨な戦いのことを歌った曲がいくつもあります。
一度聴くと忘れられない美しい曲ですが、その中で歌われる戦いの悲惨さが心に迫ります。
歌の内容を伝えたくて、最初に日本語で演奏した曲です。
荒野の風は冷たく 敵の炎は暖かく
暗闇が広がって行く
苦しみ、恐れ、死が招く
愛する人は 皆戦い
けれど まもなく知ったのは
非情で赤い敵の炎で
故郷の花が焼かれたこと
荒野の風は冷たく 敵の炎は暖かく
暗闇が広がって行く
苦しみ、恐れ、死が招く
故郷のために 怒り悲しみ
けれどなす術などない
誇りと勇気で立ち向かい
そして仲間は皆倒れた
荒野の風は冷たく 敵の炎は暖かく
暗闇が広がって行く
苦しみ、恐れ、死が招く
母と子たちは涙に暮れ
残されたのは思い出だけ
家を追われ 悲しい時代が
この大地に 今始まる
荒野の風は冷たく 敵の炎は暖かく
暗闇が広がって行く
苦しみ、恐れ、死が招く
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カロデンの敗北の後、疲れ切った兵士達は、
まだイングランドの手に落ちていないラザーンの砦にたどり着きました。
スコットランド王国復興の望みは絶たれ、食料も武器もなく、イングランド軍は迫り来る・・・
満天の星空を見上げ、様々な思いを胸に肩を寄せ合う兵士達。
そんな中、逃亡を続けるチャーリーから一通の密書が届けられました。
「これからの人生を大切に。これ以上犠牲を増やさないように」
残された道は只一つ。
彼らは自ら砦に火をかけ、夜の闇にまぎれ、
スコットランド各地(それぞれの故郷)へと去って行きました。
チャリーには3万ポンドという莫大な賞金が懸けられました。
けれど、ハイランドの人達は誰一人として彼を裏切る事はありませんでした。
チャールズは身を隠しながら逃走を続け、
ヘブリティーズ諸島のユイスト島に潜みました。
1746年6月20日ユイスト島で暮らしていたフローラ・マクドナルドは、
イングランド軍の大尉である父から驚くべき言葉を聞きます。
「チャールズ王子をスカイ島へ連れて行って欲しい」
今や敵方になってしまった王子でしたが、彼の姿を見るなり
ハイランダーの血が沸き立ったのです。
捕まれば命の保証はありません。けれど、フローラは父の願いに応え、
チャールズを女の召使いに変装させ、
イングランド軍の追っ手を欺き、スカイ島へ渡る船にのせました。
別れのとき、チャールズはフローラに自分の巻き毛を一房与え、
再会の約束をしましたが、その約束が果たされる事は二度とありませんでした。
けれど、今尚インバネス城の前では、
フローラの像が王子の帰りを待ち続けています。
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Skye Boat Song スカイボート・ソング
traditional/訳詞 Nami Uehara |
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過去に起きた悲劇が穏やかなメロディーに包まれて歌われます。
兵士達が船に乗って海を越えていく情景が、目に浮かぶようです。
初めてこの曲を聴いたとき、最後のバースが特に心に響き、大好きな曲なので、シャナヒーでは日本語で演奏しています。
走る 美しい小舟は 鳥のように
兵士を運ぶ 海を越え Skyeの島へ
風は吼え 波は鳴り 空を引き裂く
我らの敵はもう 追いはしないだろう
走る 美しい小舟は 鳥のように
兵士を運ぶ 海を越え Skyeの島へ
波が荒れ騒いでも 眠らなければ
フローラが 見張りをしているから
走る 美しい小舟は 鳥のように
兵士を運ぶ 海を越え Skyeの島へ
たくさんの若者が あの日戦った
夜が覆い始めた 死者の上に
走る 美しい小舟は 鳥のように
兵士を運ぶ 海を越え Skyeの島へ
家は焼け 人は死に 散り散りになった
けれどまた 人々は戻ってくるよ
走る 美しい小舟は 鳥のように
兵士を運ぶ 海を越え Skyeの島へ
Skyeの島へ・・・・
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その後のチャールズとフローラ・・・
チャールズはフローラとの別れの後フランスへ渡り、
1788年に生まれ故郷であるローマで亡くなくなりました。享年67歳でした。
フローラはその後イングランド軍に捕われ、政治犯としてロンドン塔に監禁されますが
後に恩赦によって釈放され、彼女の勇敢な行動が共感を呼びヒロインとして脚光を浴びました。
1750年フローラは、アラン・マクドナルドと結婚し、
1773年アメリカのノース・カロライナ植民地に移民しました。
しかしそこでもアメリカの独立戦争に巻き込まれ、夫のアランはイギリス軍に参加、
独立派軍の捕虜となり、フローラは、合衆国を脱出してカナダに逃れました。
1779年フローラは、生まれ故郷のスカイ島に帰り、1790年に亡くなりました。
チャールズは「麗しのチャーリー」「ハイランド精神の王」と呼ばれ、
今も尚ハイランダーの子孫をはじめ、多くのスコットランドの人々に敬愛されています。
しかし彼には子がなく、その弟ヘンリ・ベニディクトも跡継ぎのないまま死没しました。
そのため、スチュアート家は19世紀に初めについに断絶してしまいました。
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